ここでは、2016年のNHK大河ドラマ「真田丸」の北条家関係の人物相関図をご紹介します。
ざっくりとした歴史をお話すると、もともと関東は関東管領の上杉氏の力が強かったのですが、足利幕府から派遣された鎌倉公方や古河公方と上杉氏が対立します。
それが戦争へと発展し、関東は応仁の乱の十数年前から戦乱状態になり、そのなかで北条早雲が起こした北条氏が伊豆から次第に関東方面に進出してきました。
この北条氏は鎌倉幕府の執権を勤めた北条氏とは無縁なので後北条氏を呼ばれることもあります。
衰退した上杉氏は越後の長尾景虎(のちの上杉謙信)を頼り、上杉謙信は何度も関東に出兵し、北条氏と戦火を交えます。
さて、真田家の本領は信濃小県の真田郷でしたが、武田信玄に従った頃から領地を西に拡大していきます。
西に向かった真田家と関東平野を北上してきた北条氏がちょうど出会うのが上州沼田で、真田家と北条家は沼田城をめぐって血みどろの戦いを繰り広げます。
真田丸のドラマが始まった時点では沼田は真田領でしたが、織田軍の進撃によって武田氏が滅亡すると、沼田は織田領になります。
しかし、本能寺の変で織田信長が急死すると上州沼田に本拠を置いていた滝川一益(段田安則)は北条氏政(高嶋政伸)の指示を受けた北条氏直(細田善彦)に神流川の戦いで破れ上州から撤退します。
そのすきに真田昌幸(草刈正雄)が沼田城を奪回し、沼田城には真田昌幸の叔父の矢沢頼綱(綾田俊樹)が入ります。
この頃、豊臣秀吉(小日向文世)と対立していた徳川家康(内野聖陽)は北条氏直に沼田を与えることを約束して同盟しましたが、小牧長久手の戦いと上田合戦を経て、秀吉と家康は和睦します。
その結果、秀吉の裁定により沼田は北条領とし、そのかわり箕輪を真田領になります。
しかし、真田領の名胡桃城を北条方が奪取したことを口実に、秀吉の北条攻めが始まることになります。
この間、真田家と徳川、北条の間で外交交渉をしていたのが真田昌幸の弟の真田信尹(栗原英雄)で、北条家側の交渉担当者が板部岡江雪斉(山西惇)です。
北条家関係では北条氏直を演じている高嶋政伸の演技が光りますね。
戦国大名らしい狡猾さと迫力が感じられる名演技で、これからも楽しみですよね。
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