真田丸も放送して半年経過しましたが、その中での名場面というと上田城合戦ではないでしょうか。
大大名である徳川の大軍を大名ですない国衆の真田軍が打ち破ったのです。
徳川軍7000vs真田軍2000、この戦力差で勝利したのですから盛り上がらないわけがありません。
まず滑稽なのが、戦いの舞台となった上田城の出来た経緯です。
もともと上田城はあったのでなく、真田真幸(草刈正雄)が徳川家康(内野聖陽)に作らせた城なんですよね。
真田領って北は上杉、南は徳川に挟まれた地なんで、対上杉の戦いでは真田は重要なポイントになります。
そこで真田真幸は対上杉を考えるとここに強固な城を作っておけば防衛はしやすいし攻めるにも良い足がかりとなると徳川家康に進言し、上田城を建てさせました。
この時、徳川家康は上杉侵攻に備えて、真田真幸は上杉はもちろん後々徳川と戦うことを考慮してだったわけです。
結局、真田真幸の懸念通り徳川軍と戦うこととなり、この上田城で徳川軍を2度にわたって撃退することになります。しかもその上田城を作ったのが徳川家康っていうんですから滑稽きわまり無い話です。
いえ、徳川家康も天下を取ったほどの人なんですから、この徳川家康にして手玉にとってのけた真田真幸の恐ろしさを賞賛すべきって所ですね。
さて、この上田城合戦で真田真幸の戦上手が見て取れます。
徳川軍侵攻ということで同盟を組んだ上杉に援軍を申し出るも、援軍は老兵ばかりの100名ほどでした。
さすがにこれでは連れていくだけ無駄だと感じたは真田信繁(堺雅人)は、援軍を連れていかず単身真田真幸の元に戻ったわけですが、結果的に真田軍は援軍なしの自力だけで徳川軍と戦うことになってしまったわけです。
多勢に無勢という言葉があるように徳川7000、真田2000と戦力差だけで見れば徳川軍圧勝です。
しかしそこは戦上手とうたわれる真田真幸、すでに策は頭の中に出来上がっていました。
その戦略とは篭城策です。しかしただの篭城ではありません。
上田城の城下町に杭や柵等を打って大群が一度に通れないよう、または迷路のように複雑にして相手の足止め、混乱させるようにしてあったんです。
その城下町まで徳川軍をおびき寄せるのに活躍したのが真田信繁です。敵を追ってこさせるように挑発をしながら城下町まで引き上げ、見事徳川軍を策に乗せました。
徳川軍は大群ゆえ、通行しにくくなった城下町ではうまく行動がとれません。そこを民家の2階や物陰の死角から矢を打ち込んで一方的に攻撃をしたり、町に火をかけて大混乱させました。
真田真幸の恐るべき所が、敵の逃げ道をきちんと考慮してあった点です。
徳川軍の退路に真田信之(大泉洋)が伏せ税をしていて、逃げてくる徳川軍に追い討ちをかけました。
さらにその先にある神川の上流にあらかじめ堰を作っておき、徳川軍敗走に合わせて堰を切ったんです。堰を切ることで濁流が発生し、これが徳川軍を溺死させ壊滅状態に追い込みました。
徳川軍のひきつけから撤退ルートまであらかじめ想定してないと出来ないことですし、並大抵の智謀では出来ないことです。
この上田城合戦で真田真幸の勇名が一気に上がったわけで、真田丸前半最大の魅せばだったんじゃないかなって思います。
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