NHK大河ドラマの真田丸が始まりましたが、地名というか位置関係がわかりにくかったのではないでしょうか?
地元以外の人にとっては新府城とかどこ?、ってな感じですよね。
そこでGoogleマップの上にしるしをつけてみました。
あくまでもおおまかな位置関係を示すものですが、ご参考までに。
まず、真田幸村や山手殿がいるのは甲斐の新府城。ここは、地図の下の方の甲府の左の黒丸あたり、今の韮崎ですね。
幸村たちが偵察にいったのは、ここからずっと南の駿河方面ということになります。
最初にお父さんの真田昌幸とお兄さんの真田信幸がいたのが、諏訪上原城で左上の水色の丸あたりです。
木曽が裏切ったという話がありましたが、木曽はこの上原城から西(左)の方角ですね。
普通なら上原城で迎え撃つことになるはずですが、穴山梅雪は徳川に内通しているので、新府城への撤退を勧めたわけです。
真田昌幸は勝ち目なしと知っていて、いったん、新府城へ戻り、そして山中の守りやすい岩櫃城で籠城しようと思っていたわけです。
その岩櫃城ですが、これが遠い!
地図の一番上の赤いランドマークのところが岩櫃城です。
韮崎からなら、佐久、軽井沢、そして嬬恋村を経て、3日の行程です。
さすがに武田勝頼たちをつれてというのは無理があります。
真田昌幸ははじめから武田家は滅亡するので、真田家だけでも守ろうとしたのではないでしょうか。
それで、小山田信茂に連れられて向かった岩殿城ですが、甲府の東のピンクの丸あたり、今の大月ですね。
北条氏の勢力範囲に近く、北条の援助を期待したのではないでしょうか。
でも、小山田信茂の裏切りにあって、武田勝頼は甲府へ引き返し、そこで滝川一益に敗れて滅亡します。
ちなみに小山田信茂は、織田信長に武田氏への裏切りを問われ処刑されています。
岩櫃城の右上に「沼田」という文字がありますが、この沼田領こそが、これからの真田一族にとってキーポイントとなります。
また、岩櫃城の左側の緑の丸が真田庄、真田一族の本拠地ですね。
のちに第1次、第2次の上田合戦で有名になる上田城は、その左側の青丸です。
第1話の時期には、まだ築城されていません。
この地図を見ただけでも、真田昌幸のスケールの大きさがわかると思います。
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