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沢田研二
ジュリーの愛称で1970年代を席巻した大スター沢田研二。
沢田研二は京都生まれと思われがちですが、実は生まれは現在の鳥取市。沢田研二は5歳の時に京都の親戚の家に移っています。
沢田研二はアルバイト先のダンス喫茶の縁で1965年12月に高校を中退し、バンドのヴォーカルとしてスカウトされます。
沢田研二のバンドは大阪道頓堀のジャズ喫茶の専属バンドになりますが、このバンドが有名なザ・タイガースです。
ザ・タイガースは1967年2月にシングル デビュー、またたくまにザ・タイガースは当時のグループ・サウンズブームのトップとなり、
ジュリーも一躍国民的大スターとなりました。
1970年12月にザ・タイガースは解散しますが、その後も沢田研二はソロ活動を続け、1973年には沢田研二は「危険なふたり」で日本歌謡大賞を受賞します。
しかし、沢田研二は伊藤エミとの結婚後、1975年12月新幹線の東京駅のホームで国鉄職員に暴行し、1ヶ月の謹慎処分になっています。
もっとも芸能界復帰後は、数々のヒット曲を連発し、1977年には「勝手にしやがれ」で沢田研二は第19回レコード大賞を受賞するなど大活躍しました。
しかし、1982年にはのちに結婚する田中裕子との不倫が報道されるなど、さすがのジュリーの人気も下降線をたどります。
そして、最悪の1987年には伊藤エミとの離婚、京都公演中のステージからの転落、1988年には沢田研二は交通事故を起こして書類送検までされています。
現在は、マスコミにはほとんど姿をみせない沢田研二ですが、独立後も毎年新曲とアルバムをリリースするとともに、全国ツアーも開催しています。
先日は、沢田研二の全国ツアーの模様がNHKテレビの特別番組として放映されましたね。
沢田研二の年譜
- 1948年 現在の鳥取市に生まれる
- 1954年 京都に移る
- 1965年12月京都府立鴨沂高校を中退
- 1967年2月ザ・タイガースのリードヴォーカルとしてデビュー
- 1970年12月ザ・タイガース解散
- 1972年「許されない愛」でレコード大賞歌唱賞
- 1973年「危険なふたり」でレコード大賞大衆賞、日本歌謡大賞受賞
- 1974年「追憶」でレコード大賞歌唱賞
- 1975年12月新幹線暴行事件
- 1977年「勝手にしやがれ」で第19回レコード大賞受賞
- 1978年「LOVE(抱きしめたい)」でレコード大賞最優秀歌唱賞
- 1979年「カサブランカ・ダンディ」でレコード大賞金賞
- 1981年「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」でレコード大賞金賞
- 1982年田中裕子との不倫報道
- 1983年「きめてやる今夜」レコード大賞特別金賞
- 1987年伊藤エミと離婚、京都公演中のステージからの転落
- 1988年交通事故を起こして書類送検