真田丸 猿飛佐助の真実

 
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久しぶりに好発進したNHK大河ドラマ「真田丸」ですが、第1話から出演している「佐助」にお気づきになりましたか?

第2話では、武田勝頼の滅亡を真田昌幸に知らせるなど、さっそく活躍していますね。

演じているのは藤井隆さん。この佐助、大坂の陣まで真田昌幸、幸村親子に使えることになります。

ただし、この猿飛佐助。講談や立川文庫の小説に登場する架空の人物なんです。

小説などでの設定は戸隠の山中で生まれ育った佐助は、信濃の鳥居峠の近くの角間渓谷で甲賀忍者の戸澤白雲斎を師と仰いで3年間修行したことになっています。

その後、真田幸村に仕え、真田十勇士のNo.1になって活躍することになります。

猿飛佐助のモデルになった人物ですが、はっきりとしたモデルは見受けられません。

『清正実記』には秀吉が苦境に陥った越前 金ヶ崎の戦いの退き口で、猿飛仁助が盗賊を率いて秀吉軍を攻撃しようとしたとの記述があります。

このときは、蜂須賀小六の配下の者が猿飛と旧知で、これを期に秀吉を助けることになったとあります。

ただ、これ以外に猿飛仁助の記述はなく、この人物の実在も疑われます。

また、伊賀下忍の上月佐助が猿飛佐助のモデルとの説もありますが、はっきりしません。

ちなみに、真田十勇士ですが、基本的には猿飛佐助、霧隠才蔵、三好清海入道、三好伊三入道、穴山小介(穴山小助)、由利鎌之介(鎌之助)、筧十蔵、海野六郎、根津甚八、望月六郎の10人となっています。

じつはこの中の穴山小介、由利鎌之介、筧十蔵、海野六郎、根津甚八、望月六郎の名前は真田三代記にもあり、実在の人物あるいは実在の人物をモデルにしていると思われます。

三好清海入道はその風貌から大坂夏の陣で討ち死にした三好政康、三好伊三入道は弟の三好政勝がモデルと思われますが、真田三代記では出羽の亀田の領主だったことになっています。

実は幸村の側室の隆清院は三好吉房の孫(ちなみに豊臣秀次の娘でもある)で、彼らの間に生まれた三好幸信は大坂の陣のあと、出羽の亀田藩に仕えています。

No.2の霧隠才蔵は全くの架空の人物のようです。

それで、どうして真田十勇士のような話ができたかというと、実際に真田家は忍者をかかえていたからのようです。

真田庄の背後にある四阿山は信濃の修験道の聖地で真田家は昔から山伏たちと関係が深かったと思われます。

村上氏の没落後、村上氏の配下で甲賀忍者の頭領だったと言われる禰津(根津)信政を真田幸隆が配下にしたことにより、組織的な真田忍者が作られたようです。

根津甚八はこの禰津氏の一族と思われます。

真田氏の重臣である出浦盛清、横谷幸重、割田思勝、唐沢玄蕃なども忍者の頭領と思われるふしがあります。

ちなみに唐沢玄蕃の幼名が於猿なので、猿飛佐助のモデルはこの人かもしれませんね。

ただし、唐沢玄蕃は関が原の戦い以降、長男の真田信之に仕えています。

 

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